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全道フットパスの集いinえりも

2008-09-29

全道フットパスの集いinえりも
2008.9.28

 第9回全道フットパスの集いがえりも町で9月27,28日の二日間にわたり開催された。私は、用務のため27日の夜にえりもに入り、28日の猿留(さるる)山道のウォーキングに参加した。
 えりも町には残念ながら温泉はない。良さそうな旅館を選んで予約したが、行ってわかったのは、旅館があるえりも岬は、集いが開かれる本町から15分もかかる場所だったこと。
 夜7時を過ぎれば襟裳岬に向かう道路は行き交う車も無く真っ暗。見ると、正面の黒い夜空に真っ逆さまに落ちる一筋の光が。流れ星だ。灯台の回転する明かりに近づき、カーブを曲がった先に今晩泊る宿「えりも○○館」があった。
 数日前から北海道は一気に気温が下がり、朝晩の冷え込みが厳しくなった。この日も旅館の部屋は冷えていて、部屋のストーブ(何とポータブル)をマッチで点火したところ、石油臭くてどうにもならない。食事(鹿肉のしゃぶしゃぶが出た)もお風呂も部屋もまずまずだけど、このポータブルストーブの石油臭さはどうにもがまんならない。これが北海道の旅館のだめなところ。本州から来たお客さんはどう思うだろう!?ストーブを消し、お風呂に入って体を温め、早々に寝た。
 翌朝目が覚めると晴天。窓の外は太平洋が広がり、絶景だ。波の上には何艘もの漁船が浮かんでいる。宿のオーナー(または支配人?)に聞くと、今日はえりもには珍しく、風のない好天にめぐまれ、今年最後の昆布漁でにぎわっているとのこと。

 猿留山道ウォーキングの出発地点までは車で移動。えりも町の本町から国道336号を通ってと十勝側へ。庶野に出て、海沿いを走って目黒漁港から、内陸へ向かう。一部舗装された林道を通って、猿留山道入り口へ。さあー、出発。
 ロシアの南下政策の下で北方警備の重要性から、江戸幕府は1799(寛政11)年、松前から太平洋岸を通る根室までの陸路の整備を行ったが、その一環として開削されたのが、猿留山道である。チシマザサに覆われたこの山道を復元しようと、えりも町民有志が思い立ったのは1997年。そして、猿留山道復元ボランティア事業を実施して3年間で、この山道を一通り歩けるようになった。
 斜面を横切るようにならだらかな傾斜の山道が続く。足元には緑色や茶色のどんぐりが無数に落ちている。ここは豊かな針広混交林地帯で、ヒグマの生存環境がまだ残されている数少ない場所のようだ。鹿のフンとともに、ヒグマのでかいフンを2箇所で見つけた。遠く太平洋を眺めながら、1時間ほど歩くと沼見峠に出た。
 沼見峠からは片方に太平洋を遠望し、反対側には小さな湖「豊似湖」を見下ろせた。豊似湖は日高山脈唯一の自然湖で周囲わずか2kmに満たない小さな堰止湖。入る川もなければ、出て行く川もない。水面はきれいなコバルト色。上から見るとハート型をした湖だ。松浦武四郎の「竹四郎廻浦日記」にはこの湖は「カムイトー」と書かれている。
 峠には「妙見菩薩」と「馬頭歓世音菩薩」の二つの碑があったが、これは何と江戸時代の1859年と1861年に建立されたとのこと。
 峠から観音岳の反対側に少し登ると見晴らしのよい場所に出、百人浜から襟裳岬を一望することができる。高所恐怖症の私は残念ながら、そこまで登らず峠で待つことにした。
 帰りは反対側の斜面をジグザクに下り、豊似湖に出て、昼食休憩。湖は静かな佇まいで、透き通った湖面を見せていた。紅葉時期にまた来てみたいと思いながら屋久島のような雰囲気の漂う林道を再びバスに揺られて帰路に着いた。
 それにしても測量機材のなかった時代にどうやって日高から十勝に抜ける山道をつくったのか興味深々。
 帰りは何年ぶりかの襟裳灯台にたって岬の先の景色を楽しんだ。

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